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生きてさえいれば幸せ、とは誰が言った戯言だろうか。
悪夢のように甘く優しい死から目覚めたら、痛くて苦しい生に苛まされる。冷たい雨が、体を重く濡らす。
省みるまでもなく、顧みる必要もない。
俺は救われて、あいつは救われなかった。
「そ、そんな――確かに、死んだはず……」
そして俺を殺した女は目の前で、図々しく生きている。
驚愕を露わにする女の双眸に、血染めの死人が移る。
眼球が割れ、鼻が砕け、口が避けて、耳が破れていた。
髪は血と雨に濡れて、肌が裂かれ、肉が潰れている。
腕が垂れ下がり、足が折れている。指は、割れている。
――転がる竹刀だけは、拾い上げられた。
「――その姿。あのおチビちゃんは、『ユニゾンデバイス』だったのかい。なるほど、それで立てているのか」
無事なのは剣を握る手の平、あいつが優しく握った手。
残されたのは心、異物を抱えたがらんどうの中身。
感情無き男の代わりに、感情豊かな少女が泣いている。
"ごめんなさい、リョウスケ。
だ、だずげられまぜんでじだ、ごめんなざい……"
俺は、生きている。ならば、誰が助からなかったのか。
考えるのは、やめた。考える必要も、なかった。
夢とは、覚えていないから夢。
ならば覚えているあの光景は、現実だったのだろう。
夢なら良かったのに、とは思わない。
死ねば、夢なんて見れないのだから。
物語が終われば、続きなんてありはしないのだ。
***
生きるということは、記憶を積み重ねるということだ。
人間は忘れる生き物だが、生きることで覚えていく。
生と死の境を彷徨うというのは、記憶の混乱を生む。
惨劇の夜。朝に至るまでの記憶が、途切れがちだった。
後から思い出そうとしても、明確には思い出せない。
肉体は死に瀕しており、心は原型を留めていなかった。
高町なのはが、泣いて縋っていた姿が見えた気がする。
救急車の赤ランプが、不気味に光っていた感じがする。
頭の中で、ユーノの声が木霊していた覚えがある。
フィリスの悲痛な出迎えに、悲しみがよぎったと思う。
その全てが混ざり合い――真っ暗に、なった。
多分、死にかけていたのだろう。
恐らく、生き足掻いていたのだろう。
きっと――この夜が、峠だったのだろう。
一度は死んで、アリサに救われた。あの子は、居ない。
死ぬ前は、本当に独りだった。守護霊は、いない。
寂しいという気持ちは、なかった。
悲しいという気分でも、なかった。
救われるべき人間ではないのは、分かっている。
例え一人でも、自分勝手に生きようともがいているだけだ。この生命は、俺のものじゃないのだから。
記憶は、途切れている。脳は、何も残していない。
もしもあったとすれば、温かい手の感触だけ。
「――辛いでしょう、喋らなくていいわ」
自分が産まれて最初に出会う、人。誰だっただろうか。
自分が死ぬ時まで、律儀に会いに来てくれたのか。
多分この人は、本当の――じゃないだろうけど。
「今日俺を好きになってくれた子が、死んだんだ」
***
「恭也」
「どうした」
「俺は、人を斬った」
「……」
「斬り殺そうと思って、斬った。躊躇いは分かった。
人殺しが罪とか、家族が心配するとか、未練や躊躇さえも斬り捨てて、俺は敵を斬ったんだ」
高町恭也は黙って、話を聞いている。糾弾の声はない。
断罪もせず、贖罪を求めず、事実を受け入れる。
きっと、分かっているのだろう。
***
冷え切った刃の切っ先を、女に向けた。
「初めてだよ」
「あん……?」
自分で口にした後で、自分の言葉の意味を理解する。
初めてだったのか――純粋に、驚いた。
何度もあると思っていた。当たり前だと、考えていた。
剣を手にした以上、当然だと思い込んでいたのだ。
なるほど、つくづく俺という剣士は救えない。
こんな事を、今頃になって思うのか。
敵に殺された後でようやく、気が付いたのか。
ああ、そうか――こういう、感覚なのか。
***
「初めて――他人を、斬り殺したいと思った」

夏イベント「AL作戦/MI作戦」、E1がなかなか手ごわい。ひとまずボスドロップで長浜ちゃんを(σ・∀・)σゲッツ!!
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